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コラム一覧へ戻る公開日
2024年12月05日
18:29
更新日
2024年12月05日
18:29
名勝負物語⑧ 「地元でSGを取りたい」 スルメだけ食べて52㌔まで減量、悲願を達成した〝ミスター若松〟
ミスター若松の田頭実選手
1999年の第4回オーシャンカップ優勝戦 田頭実VS長岡茂一
1999年7月20日、ボートレース若松で開催された「第4回オーシャンカップ」。優勝したのが「ミスター若松」こと地元・福岡の田頭実だった。
57歳の今も現役で活躍している田頭は当時32歳。この勝利は田頭にとってデビュー13年目のうれしいSG初勝利となった。
優勝戦に顔を揃えたのは4号艇の田頭のほかは、①長岡茂一②松井繁③黒明良光⑤渡辺英児⑥近藤昌義の面々。ちなみに、このうち松井、渡辺の2人は今なお現役を続けており、黒明の孫娘が125期の花夢だ。
さて、優勝戦は激しいコース取りとなったが、1番人気に支持された長岡は何とか1コースを死守、以下②④⑥③⑤の変則的な並びとなった。レースは①②④の内艇3艇が好スタートするも5コースのベテラン黒明が差し場をうまくとらえてリードを奪う。ターンをミスした田頭はそれでも直線で挽回し長岡とともに黒明に肉薄。2周目以降は長岡と田頭が互いに譲らぬ手に汗握るデッドヒートを展開して観客を大いに沸かせた。そして3周目1マーク、先マイを図る田頭は内から鋭く差し込んで迫る長岡を振り切ってトップでゴールイン。大きなガッツポーズで喜びを爆発させた。
それもそのはず、この時、体重調整に苦労していた田頭はレース前「優勝賞金の4000万円はどうでもいい。ただ若松のタイトルだけはどうしても欲しいんだ」と語り、宿舎で食べていたのはスルメだけ。
それ以外の食事は一切断って52キロまで減量するなどレースに向けて並々ならぬ決意のほどを示していたからだ。
華やかな時代だった頃の表彰式
スタート力が身上。史上初の「F3持ち」G1制覇の偉業も
レース後「1周目の1マークは松井君に引っ掛かりそうになったので差し遅れて失敗してしまったが、2マークではもう一度やれといわれてもできない200点満点のターンができた。まさかあそこに入れるとは思ってもいなかった」と喜びを語った田頭は、もともとフライングギリギリの思い切りのスタートで勝負を決めるレーススタイルが身上。
普段から「スタートは自分のモチベーションであり、ファンの皆さんとのつながりになるもの」とも公言していることもあり、ファンから愛される選手だ。
しかし、その一方で積極的なスタートがフライングを誘発してF3のペナルティー休みによってB2級への降格を何度となく経験。特に2005年、地元・若松でのダイヤモンドカップでは4本目となると引退勧告を受けてしまう期間フライング3本持ちという瀬戸際だったが、早いスタートを連発。ついに史上初のF3持ちでのGⅠ制覇を成し遂げファンを喜ばせた。
余談ながら若手の田頭虎親を田頭の息子と思っている人もいるが、それは間違い。
漢字は同じでも読み方は異なり田頭実は「たどう」、田頭虎親は「たがしら」である。 (清水一利)