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コラム一覧へ戻る公開日
2024年12月12日
18:10
更新日
2024年12月12日
18:10
落語家 春風亭一蔵さん① 小学校4年生の頃にはほとんどの選手の顔と名前を覚えました

大のボートファンの父親に連れられ
父親と一緒に小学生の頃からレース場に出入りしていたという落語家の春風亭一蔵さん。ボート歴も間違いなく真打ち級だ。
僕は幼い頃から父親のことが大好きなオヤジっ子だったんですよ。そのオヤジがボートレースの大ファンというか生活の一部になっていて(笑)、いつもオヤジに連れていかれたのがボートレース場。最初はボートに興味を持つというよりもオヤジに喜んでもらいたい一心で選手のことを覚えて、小学校4年生の頃にはほとんどの選手の顔と名前が一致するようになっていました。
その当時オヤジに連れていかれるのは戸田が多くて、そのせいか今でも戸田が大好き。真打ちになってからは忙しくてなかなか行けませんが、本場に足を運ぶとすれば戸田ということになりますし、戸田をホームコースにしている桐生順平や中沢和志、佐藤翼らといった埼玉支部の選手たちがどうしても気になっちゃいますね。
僕はボート以外の公営競技は一切やりません。その点、オヤジは何でもござれで今はありえないですけど、ボートの関東場がどこもやってない時の次の候補が川口オートで、川口が開催していなければ前橋競輪に行くという感じだったんです。ですから、競輪やオートレースのルールや買い方はオヤジから習って知っていますけど、ボートのようにのめりこむことはありませんでした。やっぱりそれだけボートが面白いということかもしれませんね。

22年、真打ちに
噺家になる前は長距離トラック運転手。仕事が片付くと近くのボート場へ
僕が噺家になろうと師匠(春風亭一朝)のところに弟子入りしたのは25歳を過ぎた頃でした。普通よりかなり遅かった。高校を出てからそれまでは6年ほど長距離トラックの運転手をしていました。
もちろんその頃も舟券を買っていましたよ。僕がやっていたのは毎日同じところを回るルート配送ではなくて、その日にならないとどこに行くか分からないフリーのドライバーだったので北海道から鹿児島まで全国を毎日のように走り回っていました。そして、配送先がボートレース場の近くだったら、てきぱきと仕事を片付けて名古屋方面なら常滑や蒲郡、広島なら荷物を下ろしてから児島まで戻るとか迷うことなく直行(笑)。ただ、僕が運転していたのはホンダの展示用の乗用車やまだ発売前のシートをかぶっている乗用車など特別な車を運ぶ超大型のトラックだったので、津や蒲郡みたいにめちゃくちゃ広い駐車場があるところはいいんですけど、福岡や住之江、尼崎など駐車場がそんなに広くないところだと止めるのが難しい。だから、そういう時は近くの道の駅に止めて電車で行くみたいなことをしていましたね。
そんな感じで長距離トラックのドライバー時代はあちこちのボートレース場に行きましたけど、地方で一番好きなのは宮島かな。今、配信の仕事でたまに呼んでいただくことがありますが、宮島に行くと若い頃のことを思い出すし景色がよくていいですね。結局、ボートの仕事で行くようにもなって今のところまだ行ったことがないのは唐津と丸亀の2つだけになりました。チャンスがあればいつか24場制覇を実現したいですね。
=つづく
(聞き手=清水一利)
▼しゅんぷうてい・いちぞう 1981年東京生まれ。高校卒業後トラック運転手などを経て2007年、春風亭一朝に入門。12年二つ目、22年に真打ちに昇進。