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特別インタビュー 熊谷直樹さん① この世界に入ったきっかけは女子選手の募集広告でした

体格が小さくてもプロになれることが魅力

オーシャンカップなどSG2勝という輝かしい戦歴を持つ元レーサーの熊谷直樹さん。特別インタビューの1回目は、この世界に入る10代の頃の思い出だ。


 僕はボートレースとは縁のない土地柄の北海道・旭川の出身だし、両親や親戚、友人など周りにボートに興味を持っていた人間が一人もいなかったこともあって、世の中にボートレースなどという競技があるなんて全く知らなかった。それが17歳くらいの時だったかな、その頃、女子レーサーを増やしていこうという時期だったらしく、たまたま読んでいた雑誌に女子レーサー募集の広告が出ていて興味を持ったんですよ。子供の頃からプロスポーツに対する憧れみたいなものは持っていました。でも、普通はスポーツって体が大きくなくちゃダメでしょ? ところが、ボートレースだけは体が小さくて体重も軽いほうがいいっていうじゃない。これは自分に向いているなあと思って女子を募集しているくらいなら男子もあるだろう(笑)という単純な考えで受験してみようかなと思ったわけ。

 両親は最初大反対でしたね。何しろ40年以上も前でボートレース自体のイメージも今とは大違いでしたから。その両親を説得して、絶対に受かるという根拠のない自信を持って試験に臨んだものの、1回目は見事に失敗。それでも両親にもう1回だけ受けさせてくれと頼み込んで背水の陣で受験。何とか受かることができて本栖の研修所に入りました。

 よくいわれていることだけど、そこでの1年間はとにかく厳しかった。最初のうちはボートに乗ることもなくひたすら体力づくり。50キロあるモーターを抱えて砂浜を走ったりとかね。重たいし持ちづらいからホントにシンドいんだけど、砂浜に落とすと教官に怒られるのでそれよりはマシだと痛いのを我慢して足の上に乗っけて休む。あの1年間で体力はもちろん、根性も鍛えられたと思うなあ。

日高逸子選手は同期

両親は大反対。だからこそ厳しい研修生時代を耐えられた

 同期は50人くらいいたけど、最終的に卒業したのは24、25人だったかな。でも、僕は一度も辞めようとは思わなかった。というよりも、意地でも辞められなかった。両親の反対を押し切って入学しただけに途中で辞めて帰るっていうわけにいかなかったもの。

 同期で今も現役で頑張っているのは三品(隆浩)と女子の日高(逸子)、田村(美和)の3人だけになっちゃった。日高は今やグレートマザーなんて呼ばれているけど、若い頃から猪突猛進の頑張り屋だった。でも、ホントにすごいのは彼女の旦那さんだと思いますね。結婚してから旦那さんが主夫やって家庭のこと、子供のことを全部引き受けて、日高はレースだけに集中して終わったら帰って酒飲んでればいいという生活をしてるんだから恵まれているよね。僕ら選手は3年に1回、登録更新というのがあるんだけど、その時も旦那さんが抱っこ紐で子供をおぶって荷物を持って日高と一緒に来てたっけ。あの光景が忘れられず、偉いなあと僕は旦那さんのことをホントに尊敬しています。日高のことはあんまり尊敬していないんだけどね(笑)。

 =つづく

 (聞き手=清水一利)


▼くまがい・なおき 1965年3月生まれ、北海道・旭川出身。85年多摩川でデビュー。東京支部に所属し「北海のシロクマ」の愛称で人気を集める。2021年12月引退。SG優勝2回、GⅠ優勝8回。現在解説者。