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コラム一覧へ戻る公開日
2025年01月24日
11:28
更新日
2025年01月24日
11:28
特別インタビュー 元ボートレーサー 熊谷直樹さん② 初めてインをもらえたのは確かデビューから6、7年後だった
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昔は「新人や若手は大外」が当たり前の時代
引退して3年、現在はボートレース解説者としてファンにボートの魅力を伝えている熊谷直樹さん。今回はデビュー当時の思い出を語ってもらった。
デビューしたばかりの新人は、レースを壊したり他の選手を邪魔したりしないように大外の6コースに回るのが暗黙のルールのようになっていますよね。僕が若手の頃も同じでしたが、昔はその6コース時代がずっと続いたものです。
インはベテランや人気選手、地元の選手の指定席で、新人がインコースをもらって勝つなんてことはあり得ない。僕は初勝利がデビューから3カ月後、5節目ですが、もちろん6コースからでした。初めて1コースからスタートできるようになったのは、おそらくデビューして6年か7年くらい経ってからだったと思うなあ。
そんな僕からすると今の子たちって、そのうちインコースが回ってきたら勝てるようになると考えているのか、6コースから勝つ気がないように感じてしまうんだよね。僕らの頃は外しか回ってこないから、6コースからでも勝たないことには稼げなかった。先輩からも常にそう言われていたので、大外から勝って稼ぐにはどうしたらいいのか、いつも必死に考えていましたよ。
今みたいにレジャーチャンネルとかYouTubeとかがない時代だったから、映像を見るわけにもいかない。当時、8期(4年)先輩の今村(豊)さんが大きなレースでも外から行って勝っていましたが、映像がないから、今村さんがどんな走りをしているのかも分からないわけ。
そこで実際にレース場に行くと、自分の目で参考になりそうな先輩の走りを見ては、どうやったら勝てるのかを常に研究していたね。
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SGオーシャンカップで優勝したのは1997年7月
だから6コースから勝つ方法を必死に研究しました
僕自身はどんなレース展開になってもしっかり対応できる今村さんとか後輩の植木(通彦)みたいにセンスあるレーサーじゃなくて、自分で展開をつくっていかなくちゃ勝てない下手くそなレーサーだと自覚していたから、勝つためにできることは何でもやった。当時はまだ今のような体重制限がなくて、ボートは体重が軽ければ軽いほど有利なわけだからみんな絞りに絞っていて、中には30キロ台の選手もいたぐらいだった。僕も、さすがに30キロ台はないけど、レース中は食事や水分もなるべく控えるとか必死に減量していたよ。
でも、あまりに過激に減量すると脳みその中の水分までなくなってくるから、言葉がうまくしゃべれなくてドモるようになっちゃうとか歯を磨いてても手がつって歯ブラシが持てなくなるとかいろいろと弊害が出てくる。これではあまりに危険だというので、しばらくして体重制限ができたんだ。僕は、こういった日頃のストイックさ、練習やレースの厳しさはプロとして当たり前のことだと思っていたから自分なりに努力した。デビューして1年半と比較的早くA級に上がれたのもその甲斐あってじゃなかったかと思うなあ。
それにしても、そもそも僕は36年も現役を続けられるとは思ってもいなかった。もちろん死にたくはないけど、いつかレースで死ぬんだろうなとずっと思っていて、そうなったらなったで本望だと考えていた。それぐらいのプロ魂がないと務まらない世界なんだけど、でも、知れば知るほど魅了されてしまう競技なんだよなあ、ボートレースって。 =つづく
(聞き手=清水一利)
▼くまがい・なおき 1965年3月生まれ、北海道・旭川出身。85年多摩川でデビュー。東京支部に所属し「北海のシロクマ」の愛称で人気を集める。2021年12月引退。SG優勝2回、GⅠ優勝8回。現在解説者。