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コラム一覧へ戻る公開日
2025年04月10日
19:51
更新日
2025年04月10日
19:51
インタビュー 元吉本芸人・イベント司会者 島あたるさん③ グランプリも制した太田和美選手が愛のキューピット

努力家レーサーを応援したい。舟券的にはトホホだけど
島あたるはレーサーたちとの公私にわたるつき合いの中で、一流選手ほどボートとストイックに向き合っていることを知った。舟券戦略にも生きて大儲けかと思いきや、全くの逆。トホホの結果ばかりがついて回った。
島あたる(以下=島) 前回で倉谷和信さん(61=大阪、今年1月に引退)と澤大介さん(52=三重)の減量に対するストイックな姿勢に触れた。この2人に限らず、たとえばもはや準優に乗れないのに、まだ鬼の形相で懸命にペラを叩く選手がいる。「もうあきらめたらエエやん」と思うし、実際、予選落ちしたから残り2日間を遊んで帰る選手もいますよ。でも、最後まで全力を出し切る選手は「買ってくれるお客さんがいる限り最善を尽くす」と言って逃げない。適当に取り組む人に限ってB級の選手。永久にA級にはなれませんよ。
ボートに真摯に向き合 う選手にほれ込む島。 ところが……。
島 でもね、そういう努力を知ってしまうと舟券で応援したいから、その選手を買ってしまうんです。調子がいい時はラッキーだけど、悪いエンジンを引いた時も絶不調の時でも買ってしまう。別にボクが買って応援したところで、選手の収入が増えるわけでもない。調子が悪かったらドライに外すべきなんでしょうけど、あの減量に対する禁欲的な姿を思い浮かべるともうダメ。一生買い続けなアカンと思ってしまう。なので一流選手の内面を知れば知るほど、舟券の成績はどんどん落ちていきましたね。

SGレーサーの太田和美選手
「太田君とは中学の同級生なんです」……奥さんと知り合うきっかけに
金がすべてではない。 儲けるに越したことは ないが、島はボートの おかげで生涯の財産を 持つことができた。
島 家族ですよ。いま家内と5人の子どもに恵まれていますが、そもそも家内と知り合ったきっかけがボートなんです。ある日の吉本のイベント会場で、司会を務める女性が楽屋にあいさつに来た。その時ボクは住之江の予想新聞を見ていたんだけど、一度も面識がないのに「ボート、好きなんですか」と話しかけてくる。「はい、好きですよ」「太田和美選手は知ってますか」「知ってるも何もグランプリも勝ったスター選手ですよ」「わたし、太田君と中学校のクラスメートなんです」「へぇ~。じゃあ応援しにボート場へ行くんですか」「いえ、よう行きません」「彼はいまGⅠを走っているので、よかったらボクがエスコートしますよ」「えっ、いいんですか」。すぐ電話番号を交換して何度かデートを重ねてゴールイン。そこから太田選手とも仲良くなり、ウチらの結婚式に夫婦で参列してくれた。その太田選手の奥さんは家内の友人だった。不思議な縁ですよねえ。
その頃の島は本業のお 笑いも絶好調。ダウン タウンの再来かとまで 評価されていた。
島 1995年のNHK上方漫才コンテストなど、トントンと2つの賞をいただいた。すると吉本のマネジャーが「これはダウンタウンの受賞と同じペースですよ」と。みんなで「よっしゃ。オレたちはスターのレールに乗ったで」とテングになったのがいけなかったんでしょうね。後輩たちにどんどん追い抜かれてしまった。そしてついに吉本を辞めることになったんです。次回はその理由、そしてボクなりのボート界への提言を披露します。
お楽しみに!=つづく
(構成=長浜喜一)
▼しま・あたる 本名は島津江英樹。1970年8月3日生まれ、大阪市出身。吉本興業のお笑いカルテット・電車道のボケ担当で人気を集め、引退後、全国のボートレース場でイベント司会者として活躍。派遣会社社長。