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コラム一覧へ戻る公開日
2025年04月24日
14:10
更新日
2025年04月24日
14:10
インタビュー 濱野智紗都さん① 16歳でレーサー試験に合格した異色のキャスター
中学卒業、父親が選んだ就職先は舞妓さんか自衛隊かボートレーサー
ボートレースキャスターとして活躍している濱野智紗都さんは若い頃、ボートレーサーを養成するやまと学校(福岡県柳川市)に入学、ボートレーサーになる直前までいったという異色の経歴の持ち主。そんな濱野さんにボートレースへの思いを語ってもらった。
ボート好き女子のあるあるですけど、私もボートに興味を持ったきっかけは父親ですね、完璧に。当時京都の山科に住んでいたので、物心がつくかつかないかぐらいの頃からボートレースびわこにしょっちゅう連れていかれてましたし、自宅のリビングに置いてあるテレビは一日中ボートの映像が映っていて、夕食の時にやっていた子ども向けのアニメも一切見せてもらえませんでした。でも、それが当たり前だと思っていました。今考えても人並み外れたボート好きでしたね、私の父親は。
私が中学を卒業しようという時、そんな父親が「高校に行くより社会に出ろ」と言い出して、その選択肢が舞妓さんか自衛隊かボートレーサーの3択(笑)。小さい頃から運動神経がよかったこともあって一番可能性が高いし、レーサーだったら稼げるかもしれないと思って16歳で養成所のやまと学校を受験しました。どうせ1回じゃ受からないだろうと思って、とりあえずどんな試験なのか体験だけでもしてみようという軽い気持ちで受けたら合格しちゃった(笑)。
もちろん父親は大喜びでした。
SGを2度制している茅原選手
同期に茅原悠紀選手。「当時から彼は次元が違っていました」
入ったのは99期。
トップレーサーとして頑張っている茅原(悠紀)選手をはじめ、下出(卓矢)選手、小林(泰)選手、女子では原(加央理)選手、大沢(真菜)選手らが同期でしたけど、もともとアマチュアでもレースをやっていた茅原選手はリーダー的な存在で、一人だけ次元が違っていました。ほかの同期たちが「プロになって早く1勝あげたい」と抱負を語る中で、当時から「将来の夢はグランドスラム」と公言していたほど志が高くて、レーサーに対する熱意もすごかった。厳しい練習で脱落しそうになる選手を岡山弁で励ましていた様子を今でもよく覚えています。
ただ、私はといえば、4カ月で残念ながらケガのためにリタイアすることに。直線をただまっすぐ走ることから始まって次に1人だけでターンマークを回る練習、さらに2艇で交差しながらターンマークを回るところまではやったのですが、練習中の転覆が原因で腰を痛め手足がしびれるようになってしまったんです。学校の近くの病院に入院した後、一回地元に帰って病院に通いましたが、ダメでした。
同期の卒業をお祝いしたかったことと、未練がある気持ちを消化したかったということもあって99期の卒業記念レースには1人で柳川に見に行きました。まだ若かったので次の期でやり直すという手もありましたが、当時は入校して半年を過ぎていないとそれができないルールだったので辞めるしかなかったんです。
シビアな世界なので、もし選手になれていたとしても強くなれていなかったと思うし、今の人生が幸せではありますが、父の夢をかなえられなかったのは残念ですね。
=つづく
(聞き手=清水一利)
▼はまの・ちさと 1988年京都市生まれ。幼い頃、太秦の東映京都撮影所で子役として活躍した後、16歳でボートレーサーをめざしてやまと学校に入学。ケガのため退校後は各地のレース場でMC、リポーターなどを務めている。