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コラム一覧へ戻る公開日
2025年05月08日
16:15
更新日
2025年05月08日
16:15
インタビュー 濱野智紗都さん③ 推しレーサーは宮地元輝選手。今やオタク状態です

子育てが大変でボートが重荷になったとき、救われたんです
ボートレーサーを養成するやまと学校(福岡県柳川市)に在籍、レーサーをめざしていたこともあるキャスターの濱野智紗都さん。勇気づけられたことや夢を大いに語っていただいた。
私には1人、推しのレーサーがいます。佐賀支部の宮地元輝選手です。
私、結婚して出産した後、生まれた子供が異常なくらい寝ない子で子育てがことのほか大変だったので、5年ほどレース場には行かずスタジオ担当の仕事をやっていた時期があるんですよ。
でも、この間データ調べとか家でやる作業と子育ての両立が精神的にも肉体的にもとてもつらくて、キャスターになってから初めてボートが嫌いになっちゃったんですよ。
テンションが下がる一方でもう辞めようと思いました。それで、とりあえず今入れていただいている仕事は頑張ろうと思いながら別の仕事を探していたんですけど、いかんせん私は中卒じゃないですか。
何のスキルもないし、30社くらい受けて全部落ちて行き場がないじゃんってふさぎ込んでいました。
そんな時、たまたま宮地選手が5コースからマクリ差しで勝ったレースを見たんです。
その瞬間、なぜか分からないんですけど、私の琴線に触れたというか、それまでのモヤモヤがウソみたいにどこかに吹き飛んで、もう一度ボートレースキャスターとして頑張ってみようと思ったんですよ。もし、そのレースを見ていなかったら、今、私はボートレースとは全く関係のない仕事をしているかもしれないですね。
宮地選手はすでにSGを取っていましたが、私の中で特別注目していたわけではなかったんです。でも、それからはすごく興味を持っていろいろと調べたりしているうちに、気づいたらオタクになっていました(笑)。
宮地選手って自分に100円でも賭けてくれている人のために絶対手を抜かない選手なんですよ。6号艇でも本当に命を削って1着を取りに行くし、自分を応援してくれているファンへの思いがレースを見ててもすごく伝わってくるんですよ。そこが宮地選手の魅力ですね。

グランプリシリーズを制した宮地選手
ファンの熱い思いや声援……それを画面越しに伝えたい
今回が最終回なので、最後に今後の私の夢を語っておきましょうか。正直なところボートレースキャスターとして20年近くいろいろと一通りやらせていただいてきましたから、ボートレースに関してこれをやりたいという仕事はないんですよ。でも、ファンの皆さんとボートとの懸け橋になりたいとは昔からずっと思っています。レース場に行くと、以前は舟券を外したヤジとか怒声しかなかったファンの反応が大きく様変わりして、今では温かい歓声や拍手が湧き起こったりするじゃないですか。そんな時、昔のことを知っている私はジーンときちゃって何かグッとこみ上げてきて涙が出てきちゃうんですよ。
そうした皆さんの気持ちを画面越しでも私が引き出してあげたいなあと常に意識していて、これからも懸け橋になっていきたいなあと思っているんです。
それから、5歳になる息子に、ママはこんなにカッコいい競技の魅力を伝える仕事をしてるんだよって、近い将来言えるようになったら最高ですね。 =この項おわり
(聞き手=清水一利)
▼はまの・ちさと 1988年京都市生まれ。幼い頃、太秦の東映京都撮影所で子役として活躍した後、16歳でボートレーサーをめざしてやまと学校に入学。ケガのため退校後は各地のレース場でMC、リポーターなどを務めている。