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コラム一覧へ戻る公開日
2025年06月05日
19:46
更新日
2025年06月05日
19:46
インタビュー ラジオパーソナリティー 藤田智子さん① かわいがってくれたのがコワモテの安岐真人さんでした

FM尼崎でボート番組の専属に。舟券を100円だけ買って必死に覚えました
藤田智子さんはひょんなことからボートレース界に足を踏み入れた。時代は女性リポーターが非常に珍しかった頃。取材で世話になった思い出のビッグレーサーとは――。
私がボートレースにかかわるきっかけは1995年1月の阪神大震災なんです。それまでは23歳ごろからテレビ、ラジオのリポーターをやっていたんですが、地震を機に被災地にはたくさんのコミュニティーが生まれた。そのひとつが1年後の10月に開局したFM尼崎。そのオーディションに受かって月~金曜の午後4時から7時までひとりで3時間しゃべる中で番組内に地元の尼崎ボートの結果を紹介するコーナーがあったんです。
単に出目と配当を知らせるだけではありません。場に詰めている専門紙の記者が書いて、局に送ってきた原稿を読むんです。進入、スタートタイミング、展開、決まり手……。ボートレースは見たこともなかったので、絵面が全く思い浮かばない。「コレって何のこと?」「コレは何を意味するの?」。レースのない非開催日でも記者の推奨選手、次節の見どころ、コラムなどを流していたけど、しばらくの間はチンプンカンプンでしたね。
転機は翌1997年4月の番組改編。尼崎市、伊丹市の両施行者から広告費が出ることになり、放送時間が10分間に拡大されたんです。まず全レース終了後に記者がスタジオに入り、当日の尼崎ボートを解説することになった。そして「じゃあ記者の相手は誰がやる?」となり、結局「この子は面白いし、このままボートをやってもらおう」と、私がボート番組専属になったんです。
開催日程に合わせて私のスケジュールが決まり、非開催日は休日。当時は180日開催で前検日を含めると年間210日以上は場に足を運んでました。といっても、ボートはまだ右も左もわからない状態で、頼りの専門紙記者は記者席で「ここで見て覚えなさい」と。さらに「実際に舟券を買って覚えなさい」と。3Rまでは2連複、4R以降から2連単も発売。そんな時代だったけど、1レース100円だけ買って必死に覚えようとしてましたね。

SG5勝の安岐選手(1995年10月、全日本選手権=現ダービーで初優勝)
30年前、ピット取材で女性レポーターが珍しかった時代
数カ月もすると、選手の声をナマで聞くピット取材にも慣れてきた。当時は男社会で女性がピットに入ることは珍しかったこともあり、私は「スカートはやめとこ」と思い、ずっとパンツ姿で選手に接していたんです。するとある日、仲良くしていたベテラン選手に「君はスカートをはいてこんな。男みたいや。女の子が好きなんか」と冗談口調で言われましてね。これ、今じゃナニハラになるんですかね~(笑)。女性がマレな存在だったので、選手からはちょっかいを出されるようによく声をかけられました。
中でもかわいがってくれたのが、香川支部の往年の大レーサーだった安岐真人さん(80)。強烈なパンチパーマ、濃い眉毛、鋭い眼光、びっしり生えた口ひげ。そんな風貌なのでピット内の記者たちも遠巻きにしていたけど、私には「おい、ちいちゃん。ちいちゃん」と。「お久しぶりです。お元気ですか」と返すと、安岐さんもにこやかな表情になる。すると「今だ!」とばかり、記者たちがドッとやってきて安岐さんに取材をかけるんです。コワモテなので機嫌のよさそうなタイミングを狙っていたんでしょうね。少しは素人の私でも役に立ったのかと、ちょっぴりうれしい気持ちになったものです。 =つづく
(構成=長浜喜一)
▼ふじた・ちこ 大阪府吹田市出身。ラジオパーソナリティー、イベント司会者、リポーター。現在、西宮コミュニティー局「さくらFM」で毎月第3土曜日13時からの生放送にレギュラー出演中。