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コラム一覧へ戻る公開日
2023年12月11日
07:00
更新日
2023年11月27日
19:34
寺田千恵選手(中)5艇身差を逆転した「女子王座決定戦の思い出」
寺田千恵選手
デビュー後すぐにA級に昇格するなど早くから頭角を現した若き日の寺田千恵選手。しかし、女子王座決定戦を勝ったのはデビュー17年目のことだった。「無冠の女王」といわれ続けた寺田選手の思いは……。
デビューは89年、当時福岡支部に所属していたこともあり若松ボートレース場でした。子どもの頃から親しんでいたところだったのでここでデビューできたのはうれしかったですね。
その時、私のエンジンがあまりにもパワー不足だったのを整備士さんが可哀想に思ったのか「持ってこい、見てやる」っていってくれたんですよ。当時は新人の子が整備することはあまりなかったので遠慮していたら「いいから持ってこい」といってアドバイスしてくれました。すると日に日にパワーが出るようになって5着を3回続けた後の5走目に初1着。6号艇でスタートは遅れたもののターンマークを回るのは得意でしたからちょこっと差してバックストレッチで抜いたら勝っちゃった。昔も今もデビューして1年以上勝てない子が珍しくないことを考えると5走目の初1着というのは上々の滑り出しだったといえるでしょうね。
でも、自分ではデビューしてすぐの頃は、このままレーサーとして順調にやっていけるとは全然考えていなくて一生懸命やらなくちゃ3年でクビになると思っていました。なので最初の3年間は何も考えずにがむしゃらに進んでいたような気がします。もちろんその間にはレースがうまくいかなかったり、人間関係に悩んでもう辞めようと思ったこともありましたが、それも一瞬。勝ち負けよりも、抜いたり抜かれたりのレースをすることがとにかく楽しくて仕方なかったですね。それだけひたむきにレースに取り組んだのがよかったのかデビューして3期目にはA級に上がることができました。昇格のスピードとしてはかなり速かったですね。
■ついに「無冠の女王」返上
でも、そのわりには優勝は遅くて初優勝はデビュー5年目でした。そして念願の女子王座決定戦を勝つことができたのが2007年3月4日、徳山ボートレース場。デビューから17年目でしたね。レース前には主人(A1級の立間充宏選手)と「もし今回取れなかったら2人目の子どもをつくろうか」「そうだね」と話していたのですが、「無冠の女王」とかってずっといわれ続けてきていたこともあって1回はいつか取りたいと思っていたタイトルなので密かに狙ってはいましたね。
あの日は水面の状態がすごく悪くて1コーナーで1号艇の山川(美由紀)選手と接触してしまうアクシデントがあったりして、正直いって気持ちのいい優勝ではありませんでしたが、それでも必死で走った結果が優勝につながったと思っています。
2周目のバックストレッチでは山川選手に5艇身近く離されて、見ていた方は(ああ、もう駄目だろう)と思われたかもしれませんが、私はデビューしたときからトップを走っていなければ常に一つでも前の着順を狙うという信条でずっとやってきましたからゴールするまでは諦めていなかった。それがよかったのではないかと今でも思っています。 =つづく
(聞き手=清水一利)