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名勝負物語① ボートレース史上屈指の一騎打ち 植木通彦VS中道善博

1周2マークで中道選手①を差す植木選手⑤

第10回「賞金王決定戦」優勝戦(1995年12月24日)の熱狂一部始終

 長年ボートレースを見てきたオールドファンが口をそろえて「史上屈指の名勝負」に挙げるのがこのレースだ。「第10回賞金王決定戦」の優勝戦。1995年12月24日、ボートレース住之江で行われたこの年の総決算、最後の決戦に駒を進めたのは――。


●1号艇…「ターンの魔術師」「水上の人間国宝」と呼ばれた前年の覇者・中道善博(徳島支部)。

●2号艇…92年から賞金王決定戦2連覇を果たした実績ナンバーワンの「モンスター」野中和夫(大阪支部)。

●3号艇…この年の「新鋭王座決定戦」の覇者で独自のモンキーターン「ハイテクモンキー」の使い手・烏野賢太(徳島支部)。

●4号艇…出場6選手の中の最年少。大阪期待の新鋭として注目を集めていた、今や生涯獲得賞金40億円超えの「絶対王者」松井繁(大阪支部)。

●5号艇…ボートレース桐生で顔面を75針も縫う大ケガをするも復活、「不死鳥」と呼ばれた「艇王」植木通彦(福岡支部)。

●6号艇…当時30歳で初SG勝利をめざしていた「北海のシロクマ」熊谷直樹(東京支部)。

◇ ◇ ◇

 当時のボートレース界を代表するトップレーサーの面々。その中で今も語り継がれている名勝負の主役になったのは中道と植木の2人だった。

 レースはピットアウト後の待機行動から大きく動く。インは中道が何とか死守するも外枠からダッシュよく回り込んだ⑤植木、⑥熊谷が2コース、3コースを確保。残りの3艇は③烏野、②野中、④松井の順となり、進入はスロー①⑤⑥③、ダッシュ②④の4対2の隊形となった。


優勝賞金は6000万円だった

ナント、3周目1マークまで抜きつ抜かれつのデッドヒート

スタート後、1コースから中道が2コース植木のツケマイをしっかり受け止めて先頭に立つ。しかし、1周2マークで植木の差しがきれいに決まって逆転。この時点で他艇を大きく引き離して植木、中道の2艇のマッチレースとなった。

 2周1マーク、今度は内側から中道が植木を強襲して再び先頭に立つも、植木も必死で食い下がり3周目へ。どよめきと歓声、場内の興奮は最高潮に――。

 すると3周1マークでまたしても植木の差しが決まりバックでは両者が互いに譲らず並走のまま最後のターンマークへ。ここで先にコーナーへ飛び込んだ植木と差した中道がゴールをめざす。最後はわずかの差で植木が中道をかわして大激戦を制した。

◇ ◇ ◇

 そもそもボートレースは1周目の最初のターン、もしくは2回目のターンまでに勝負が決着してしまうことが多い。それに対してこのレースは道中で何度も順位が入れ替わり、最後の最後まで、抜きつ抜かれつ、どちらが勝つのかが分からないデッドヒートを演じた。それゆえに屈指の名勝負としてファンの脳裏に今も深く刻まれているのだろう。

 レースからまもなく30年。その後、植木は賞金王決定戦を翌年も制覇するなど大活躍。2007年に引退した後はボートレーサーの育成機関であるやまと学校校長、ボートレースアンバサダーとしてボートレース界の発展に寄与している。また、松井、烏野は今なお現役で頑張っている。 (清水一利)