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ちゃらんぽらん冨好さん(上) 身内ゆえ舟券購入は自粛 「ツラかったなぁ」 

兄が元A1のボートレーサー

吉本興業の人気芸人・ちゃらんぽらん冨好はボートレース好きのタレントとしても知られる。興味と憧れを抱いたのは、なんと思春期真っ盛りの中学生時代。そんな冨好のボートレースに対する愛情と本音を3回にわたってお届けする。


 冨好には2016年に病気で他界した2歳年上の兄・和幸がいた。尼崎を本拠地とし、兵庫支部長も務めた元A1のボートレーサー(通算1021勝)だった。


冨好 兄ちゃんもボクも、父ちゃんと2人のおじの影響でボートにハマりましたんや。ボート好きの父ちゃんは家が尼崎だったからよくセンタープールに通っていたし、四国香川・三本松のおじも車で1時間かけてボートレース鳴門で遊んでいた。そして東京のおじは専門紙「ボートレース研究」の社員。そんな環境やったから、みんなが集まった時には「エエぞ~、ボート選手は。絶対にボート選手になれよ」って。それが中学生の頃。でも、ボクは体が大きくて身長も170センチぐらいあったからあきらめざるを得なかったんやけどボートへの興味はどんどん深くなっていったね。


  そうこうするうちに20歳を迎え、念願の舟券購入が可能となった。だが、「いざ勝負!」はできなかった。


冨好 あきまへんのや。兄ちゃんが選手やったから。兄ちゃんは高校卒業と同時にレーサーを目指し、大学3年の時に試験に合格して中退。そしてデビューを迎えた頃に、兵庫支部の選手会がボクらに懇親会を開いてくれた。ひと通り歓談が終わると、こう言われたんですわ。「これからお兄さんが水面に出るけど、絶対に行かないでほしい。見つかると斡旋が入らなくなり、地元で走れなくなりますよ」と。そして最後のひと言は今でも忘れん。「もうボートに興味を持ってくれるな」と。死刑宣告みたいなもんやで。要は家族は舟券を買わないでくれということやった。

兄の冨好和幸

兄が2013年、現役引退。しかし、舟券購入には次の障壁が

  法的には親族が舟券を購入しても全く問題はない。しかし、疑念の目で見られかねない場合もあるので、選手会としても自粛を要請せざるを得なかった。


冨好 今と違って当時はホンマに厳しかった。兄ちゃんが山梨・本栖湖の学校を卒業した時なんて、興信所の調査員のような人がやって来て家の近所に聞き込みや。ウチんちの素性を知りたかったんかな。「冨好さん、きのう来とったで」と隣んちのオバちゃんが教えてくれたよ。

 公明正大なボートレース。当然といえば当然だが、中央組織も選手会も一点の曇りもない業界の定着を目指した。そして選手たちも積極的に自らを律していた。


冨好 通達もあったんだろうけど、兄ちゃんも競馬や競輪などは遠慮していたな。スナック遊びもしかり。繁華街をうろちょろしていると、どんなトラブルに巻き込まれるか、どんな誘惑が待ち受けているかもわからん。どうしてもスナックで飲みたい時は、席で声をかけられても「ボクはしがない漁師です」とウソをついとったよ。当時はネットもなく顔がバレてなかったからね。今じゃ西山貴浩(福岡支部)なんかトーク会で「競輪の車券を買いました~」と大声で言うとるもんな。隔世の感があるわ。


 舟券は買えなくてもボート熱がさめることはない。本業の芸人としてボート場のステージに上がると、悔しさだけがこみ上げた。


冨好 トーク会に呼ばれた時には買い目予想も求められる。ツラかったなぁ。だって的中して次のレース予想のステージに立った時に「さっきのレース、とりました~。万舟券でフトコロほくほくで~す」と言えんから。舟券を買って、お客さんと気持ちをひとつにしたかったよな。


  兄の和幸は2013年に現役引退。これで晴れて舟券を購入できるはずの冨好の前に、もうひとつの障壁が立ちはだかった。それは――。 =つづく

(構成=長浜喜一)


▽本名=冨好 真(とみよし・まこと) 1960年、兵庫・尼崎市生まれ。79年に大西浩仁(現・幸仁)とちゃらんぽらんを結成して人気を博し、2008年の解散後はピン芸人として漫談など幅広い分野で活動中。吉本興業所属。