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名勝負物語③ 「無冠の女王」寺田千恵がデビュー17年目で初G1制覇

「一つでも前を」がモットーの寺田選手

第20回 JAL女子王座決定戦 優勝戦(2007年3月4日)

 2022年3月21日、ボートレース大村で開催されたSG「第57回総理大臣杯」でボートレースの歴史に残る快挙が達成された。遠藤エミが女子レーサーとして初めてのSG優勝を果たした。

 ボートレースが始まった1952年、女子ボートレーサーの第1号・則次千恵子が登録されてから70年。偉業といってもいい出来事だったが、この遠藤の優勝よりも20年以上も前の2001年6月24日、ボートレース唐津で行われた「SGグランドチャンピオン決定戦競走」で女子レーサーとして初めて優勝戦に進出、しかも1号艇をゲットしたのが寺田千恵だ。

 1号艇とあって優勝が大いに期待されたが、緊張したのかスタートで出遅れてしまったこともあって5着に敗れ、優勝は「艇王」植木通彦の手に。以来、女子レーサーの実力は年々上がっていったものの、遠藤の初優勝は寺田の優勝戦進出から20年後。そのことを見ても男子に交じってのSG優勝がいかに大変かが分かるだろう。惜しくも史上初のチャンスは逸した後も、女子のトップレーサーとして活躍し続ける寺田。しかし、実力者の彼女であってもなぜかGⅠを勝てず、いつしかファンは寺田を「無冠の女王」と呼んだ。



2周2マーク。左奥が寺田選手。ここから大逆転

1周目でトップに4艇身差。だれもが無理と思った三つ巴の激戦

 デビューから17年、そんな寺田がついに悲願のGⅠ制覇を果たす日がやって来た。2007年3月4日、ボートレース徳山で行われた「第20回JAL女子王座決定戦」(現レディースチャンピオン)の優勝戦である。

 予選を勝ち抜いた面々は1号艇・山川美由紀、2号艇・谷川里江、3号艇・五反田忍、4号艇・寺田千恵、5号艇・池田浩美、6号艇・池田明美。追い風10メートル、波高15センチという悪条件の中で始まったレースは寺田がコンマ06のトップスタートで飛び出し2号艇、3号艇を一気にのみ込んでインの山川もマクろうと襲いかかったが、山川もコンマ08の好スタートで抵抗。寺田を必死にかわした山川は1周目のバックストレッチでは寺田に約4艇身の差をつける。その時点では誰もが(山川が勝った)と思ったほどの大きな差だったが、寺田は決してそう思っていなかった。レース後、「見ていた方は(寺田はもう駄目だろう)と思われたでしょうが、私はデビューした時からトップを走っていなければ常にひとつでも前の着順を狙うという信条でやってきましたからゴールするまでは諦めていませんでした」と語っている。2周1マーク、ターン後、外に少々ふくらんだ山川を見逃さず、寺田が気迫の差しを繰り出すと、3番手を追走していた⑥池田明美が両者の間隙を縫ってトップへ躍り出る。しかし、寺田はここでも諦めず池田を猛追、2周2マークで渾身の差しを決め、激戦を制して悲願の初Vを成し遂げた。

 表彰式に臨んだ寺田は「今はまだ実感が湧きませんが、やっとなれたなとホッとしました。いろいろなプレッシャーが重かったですね。子どもには寂しい思いをさせているので、その分、仕事ではいつも頑張ろうと思っています」と涙した。

(清水一利)