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名勝負物語④ 「戸田の天皇」池上裕次 大歓声の中 死闘制して地元で初のSG勝利

1周2マーク、差しを決めてトップに並んだ①池上選手 手前が④川崎選手

トップスタートの④川崎智幸と抜きつ抜かれつ、最終周へ

名勝負物語 4

 埼玉支部に所属し地元戸田でのデビュー戦でいきなりの1着。その後、戸田での優出68回、優勝21回を数え、SG1勝、GⅠ5勝も全て戸田という圧倒的な強さから「戸田天皇」と呼ばれたのが池上裕次だ。

 その池上が1号艇で唯一のSG勝利を挙げた2000年10月9日、20世紀最後の「第47回全日本選手権競走(ボートレースダービー)」の優勝戦も間違いなくボートレース史上に残る名勝負のひとつといってもいいだろう。2艇による激しいデッドヒートが繰り広げられたそのレースはファンを大いに熱狂させた。そして、このレースで池上とともに主役を演じたのが4号艇の川崎智幸(岡山)だ。

 川崎は1987年5月に宮島でデビューすると98年には住之江での「太閤賞競走」に優勝、このレースはGⅠウイナーとしてのSG参戦だった。

 優勝戦には池上、川崎の他、2号艇・植木通彦(福岡)、3号艇・安岐真人(香川)、5号艇・高山秀則(福岡)、6号艇・服部幸男(静岡)の4選手が参戦。カドから川崎がトップスタートで飛び出すとマクリ差しで1マーク先頭に立つが、脚色のいい池上は必死で追いすがり2番手を追走。2マーク、その池上が川崎の懐を差して両者が並走しラップ状態でやり合う。

 2周目1マーク、外を握る川崎に対して池上は小回りで応戦、バックストレッチでの伸び比べから池上が1艇身リードして2マークへ向かう。ここで川崎は気迫の全速ターンを見せ、わずかに届かなかったものの艇をほぼ並べ両者のマッチレースはどちらも譲らない。つばぜり合いのまま運命の最終周回1マークへ。アウトコースを締めて回る池上に対して「勝つことしか考えていなかった。勝てなければ2着も6着も同じだ」と思っていたという川崎は全速で握って勝負のツケマイに出た。

 ところが、ここで川崎の艇は大きくスピンして転覆。

 無念の失格となって壮絶な戦いは池上に軍配が上がった。

 

地元勢では20年ぶりの優勝だった

優勝インタビューではファンを前にたまらず号泣

レース後の表彰式でのインタビューで池上が、

「川崎君が1周目の1マークですごいターンをしたので、これはもう川崎君の勝ちだなと思った。でも、最後に勝ててうれしかった」と目に涙を浮かべながら語ると、地元埼玉勢の20年ぶりの勝利を喜ぶファンの歓声が一段と大きくなり、池上はたまらず号泣。

「もう静かにしてくれよ、みんな」と呼びかけてタオルで顔を覆うという感動的な一幕もあった。

その池上は2020年に引退。一方、今も現役で頑張っている川崎は、

「レースの後は他の選手にもファンにもいろいろ言われた。いいレースだったとかおとなしくしていれば2着をキープできていたのにとかね。一緒に走っていた植木さんも、よかったぞ、素晴らしかったってほめてくれたけど、自分の中では賞金ではなく、とにかく優勝というタイトルしか考えられなかった。だから悔いはないし、あの時取れなかったから今の俺があると思っている」と語っている。 (清水一利)