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コラム一覧へ戻る公開日
2024年06月28日
16:26
更新日
2024年07月03日
17:37
予想屋ホンネ座談会① 住之江 昔21人いた予想屋も今は6人。もう継ぐもんはおらん
(左から)でんちゃん、山上社、住之江情報、日報
台の上に100円玉が山積み
ボートレース場で奮闘する縁の下の力持ちがいる。場立ち予想屋だ。「メモ」と呼ぶ買い目を1レース100円で売り、生計を立てる。第1回は生い立ちと悲哀をテーマに語り合った。
でんちゃん(以下=でん) ワシはな、ここ住之江で事故が起きた時の救助艇に乗りながら、実はボートレーサーを目指しとったんや。山梨・本栖湖のレーサー養成所で試験を受けたんやが、見事に落ちた。それで知り合いだった予想屋の親方に誘われ、この道に入ったんよ。
住之江情報(同=情報) ワシはスポーツ紙の記者だった兄貴が転職して予想屋になり、その助手をやっとった。
でん ワシも助手上がりやで。昔の予想屋は景気がよくて忙しかったから、みんな助手を連れていた。通路にはお客がズラ~ッと何十人も並び、台の上には100円玉がブワ~ッと積まれとった。ここの予想屋も昔は21人おったけど、今ではたった6人。減ることはあっても、もう増えることはないわ。
情報 そやな。ワシは死んだ兄貴の屋号を継いだけど、もはやワシらの代で終わりやろな。継ぐもんがおらん。
山上社(同=山上) ボクも18歳からオヤジの助手をやり、昭和60年に独立して39年目。もう68歳やから、助手時代も含めると50年や。この仕事以外にやりたいこともなく、どこへ行っても務まらないと思って、オヤジの世話になったんや。
日報 オレは客として通っていた予想屋から、この屋号をもらって始めた。予想屋バブルの時代を知らんから、今の収入が少なくても「こんなもんかなぁ」と。レースの開催は190日ほどやから、1年の半分近くは休んどる。まあ気楽といえば気楽な商売よ。
〝指定席〟に立つでんちゃん
G1でも一日100枚売れたらいい方。値上げできずに30年
でん 世間は物価高やろ。ワシらもメモの料金を150円にすれば稼ぎも少しはマシになるけど、お客に「じゃあ、そんだけ当たるんやろな」と言われたら困る。そう簡単には当てられんからな。G1の開催中でも1日100枚売れたらいい方。一般戦なら話にならんな。
情報 メモは最初10円。そこから20円、50円、100円になった。
日報 ちょっと待った。ナンボ何でも45年前で10円はないやろ。戦前じゃあるまいし。オレ、生まれてるんやから10円なんて絶対にないわ。
情報 エッ!? そや思い出した。20円、30円……やったわ。途中で70円か80円にする意見もあったけど「20円、30円上げても買う客は買う。買わん客は買わん」となって、50円から100円になった。それが値上げもせず30年以上も続いとる。
でん だから予想屋では食っていけんということよ。昔は副業で不動産会社や飲食店を経営する予想屋もたくさんおった。今じゃ信じられん話やけどな。
情報 ワシなんか健康のために仕事しとるようなもんや。ここまで歩いて来て、仕事中はずっと立っとるから足腰が弱らん。頭を使って予想すればボケ防止にもなるで。
日報 電話投票が増え、本場に来るお客が減ったことがすべてやな。若い子が増えたことはいいことやけど、中には予想屋泣かせのお客がおる。次回に紹介するから楽しみにしといて。 =つづく
(構成=長浜喜一)
◆予想屋座談会【出席者(屋号)】 ▽でんちゃん(予想屋組合・大阪競艇研究会の会長。30年目)▽住之江情報(メンバー最古参のベテラン。45年目)▽山上社(父の屋号を継いだ2代目。39年目)▽日報(舟券客から予想屋に転身。20年目)