COLUMNコラム
コラム一覧へ戻る公開日
2024年09月27日
14:02
更新日
2024年09月27日
14:02
落語家 桂三幸さん① 講座でボートレースのネタを披露 住之江と尼崎へ毎日通った5年間

きっかけは「ボートピア梅田」でのビギナーズラック
テ・テ~テテ・ケ・テン……。出囃子「春藤」のリズムに乗って本紙に登場したのは落語家の桂三幸さん。高座でボートレースのネタも披露する大の舟券ファンだけに、そのボート人生は実に味わい深い。まずは壮絶な本場通いを激白した。
桂三幸(以下=三幸) ボクが初めてボートレースと出合ったのは2007年。たまたま後輩と場外舟券発売場「ボートピア梅田」の近くを歩いている時に「ちょっと寄ってみよか」となった。その時、ビギナーズラックで勝ちましてね。同時にボートは6日間のシリーズなんだと知り「あすはどないなるんやろ」「準優はどんな結果が出るんやろ」「そして優勝戦は」と無性にワクワクしてきた。そうなると、もう見ないとしゃあない。
初めての生観戦は住之江。長居球技場でサッカー日本代表の試合を見るつもりが、気がついたらボートレース場だった。
三幸 梅田から地下鉄御堂筋線に乗って長居に行くつもりやったんです。でも途中、大国町に着く頃に横のおっちゃんが仲間に言うてる。「住之江行きは次やで」と。「そうか。次なんか」とボクも四つ橋線に乗り換えてしまいましてね。サッカーのチケットも買ってなかったし、一緒に観戦する予定だった友人に「悪い。行けなくなった」と連絡して住之江に直行ですわ。それからというもの、尼崎も合わせて非開催日以外は毎日通った。毎日ですよ、毎日。しかも5年間にわたってね。

ボートレース住之江
フェリーで福岡へ。SGグランプリを仕留め、またフェリーで住之江へ
大げさではない。落語家の地位もまだ築けていないのに、三幸のボート場通いは一門の間で知らない人間はいなかった。
三幸 楽しすぎてね。先輩も後輩もボクの行動はみんな知ってた。ちょうど住之江と尼崎の中間あたりに住んでいたので、どっちに行くにもバイクを飛ばしてね。貧乏な頃だったから、なけなしの生活費をかけて必死でしたよ。一度、財布の中の全財産6000円を握って住之江に行った。資金が少ないからひとレースに2点買うのが精いっぱい。それなのに「よっしゃ、とったで」と叫んだらなんと道中で着順が変わり、的中のはずが外れ舟券に化けたレースもある。そんなこんなで帰る時には残り400円。翌日に仕事で行く京都までの電車賃が足りず、だいぶ前にオカンにもらったJRのオレンジカードを引っ張り出して使った。残高があってホンマ助かったわ。
ボート場通いのエピソードは尽きない。狂人的な弾丸ツアーを敢行したこともある。
三幸 忘れもしない2007年のSG福岡グランプリの最終日。愛媛に帰省していて「グランプリは住之江だけとちゃうんか」と思ったら、もう辛抱たまらん。松山から朝に小倉へ着くフェリーに乗り、大学の落研の後輩と合流して電車で最寄り駅の天神へ。吉川元浩(兵庫)のSG初Vとなった優勝戦の①⑤④7020円をズバリ仕留めましてね。2着は大阪支部のスター選手、松井繁だったから意外ととりやすかったですよ。その日はちょうどクリスマスイブ。2人で天神の繁華街で祝杯を挙げたあと逆の行程で朝に松山へ着き、その夜には住之江に近い南港行きのフェリーに乗ったんです。年末シリーズの開催でひと勝負しようと思ってね。ボクはフェリーが好きだし、全然しんどくなかった。ホンマ、楽しいだけでしたよ。
これほどまでにボートにのめり込む三幸。その舟券戦術は一種独特のものがある。その極意とは――。
=つづく
(構成=長浜喜一)
▽かつら・さんこう 本名は井上幸浩(いのうえ・ゆきひろ)。1979年7月生まれ。愛媛県出身。愛媛大学時代に落語研究会に属し、2002年に桂三枝(現6代目文枝)に入門。寄席で活躍するほか、ボートレースびわこや住之江で予想トーク会を実施。吉本興業所属。