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コラム一覧へ戻る公開日
2024年10月10日
17:51
更新日
2024年10月10日
17:55
落語家 桂三幸③ ボートは熱い人間ドラマ ギャンブルでなくスポーツです
ボクも感動した特選3大レース
桂三幸さんがボートレースにハマる理由は、何も配当金をゲットすることだけではない。人情に厚い上方落語家だけに、レーサーたちの人間ドラマに目頭を熱くすることもある。「ボートレースはギャンブルではなくスポーツ」。そう言い切る三幸さんの特選3大レースがこれだ。
桂三幸(以下=三幸) ボクがボートレースをやり始めた2007年。尼崎で初めて生観戦した11月のGⅠ戦でした。大会は29日から12月4日まで6日間開催の中、序盤の戦いにひときわファンの視線を浴びる選手がいた。香川の三嶌誠司です。当時は年末のグランプリ出場資格が現在のSGチャレンジカップまでではなく、11月末日時点の賞金上位者だった。三嶌はボーダーラインにいて、最初の2日間で賞金を上積みしなければ締め切られてアウトだったんです。
文字通りの勝負駆け。目を血走らせる三嶌のレースに三幸も固唾をのんだ。
三幸 もう気合満々ですよ。初日のドリーム戦は6号艇から2着に入って首の皮一枚つなげた。そして運命の2日目。ファンは三嶌の置かれた立場を知ってるから「がんばれよ~」「グランプリに行くぞ~」と大声援でね。そして午前中に4コースから1着を取って王手をかけ、午後のレースは絶好の1号艇。1着なら当確という状況でイン逃げを決め、見事にグランプリ切符です。勝利インタビューで三嶌は泣いてる。ボクが驚いたのはファンも泣いてるんです。「よくやったぞ~」「グランプリおめでとう~」と。ボクは「ナンだ!? この光景は。ボートレースってこういう競技なのか」と胸が熱くなりましたね。
伝説なっている丸岡選手と瓜生選手のマッチレース
勝負師が演出した118番人気舟券
翌年の2008年10月。丸亀SGダービーの優勝戦で三幸の涙腺が再び緩む。
三幸 これも生観戦したんですが、すっごいレースでした。人気を集めた1号艇の丸岡正典(大阪)が逃げるところを3号艇の瓜生正義(福岡)がズバッとマクリ差し。ここまではよくある展開ですが、このあとが信じられない。コーナーのたびに先マイ、差し、握りマイの応酬が延々と続き、どこまでいっても2人のシ烈なマッチレース。2着、3着争いがデッドヒートになることはあっても、トップが並走を続けるなんて初めて見ました。結局、最終周の2マークで丸岡が競り勝ったけど、SGの大舞台で繰り広げられた意地と意地、プライドとプライドのぶつかり合いはボクの心にジ~ンと響きましたね。
最後は2011年のSG住之江グランプリ5日目。晴れの優出が決まるトライアル2ndの最終戦で、全国のボートファンから悲鳴が上がる事態が起きた。
三幸 このレース、展示では3対3の枠なり進入だったんです。ところが、本番では6コースの重成一人(香川)が前付けし、今垣光太郎(福井)からインを奪い取ってしまった。なんと6号艇が1コースですよ。展示では知らんぷりしてて、いざゴングが鳴ると勝負師に豹変する。ボクの好きな重成らしい一戦でした。重成はきっちり1着でゴールし、配当は120通り中118番人気の⑥⑤③4万7020円の大万舟。こんな舟券、誰が買えるっちゅうねん。
ボートレースは魂を揺さぶる感動のドラマを提供してくれる。だから三幸は大いなる使命感を持つ。
三幸 もっともっとボートレースを世間に広めるには、スポーツとしての側面を定着させることが大事。まだまだギャンブルのイメージが強いのでね。ボクはその一翼を担いたい。高座のネタや本場でのトークイベントなどで、スポーツ好きとして頑張っていきますよ。
ボートレースのさらなる発展に尽力することを誓った三幸。おあとがよろしいようで。=おわり
(構成=長浜喜一)
▽かつら・さんこう 本名は井上幸浩(いのうえ・ゆきひろ)。1979年7月生まれ。愛媛県出身。愛媛大学時代に落語研究会に属し、2002年に桂三枝(現6代目文枝)に入門。寄席で活躍するほか、ボートレースびわこや住之江で予想トーク会を実施。吉本興業所属。