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コラム一覧へ戻る公開日
2024年10月17日
16:58
更新日
2024年10月17日
17:01
演歌歌手 浜博也さん① 「東京ロマンチカ」時代からの40年来のオールドファン
浜博也さん
場内で手数料を取って払い戻ししてくれる「お早いの」オジサンとの出会い
新曲の「ヒトリヨガリ」をリリースしたばかりの演歌歌手、浜博也さんは40年来のボートレースファン。始めたきっかけから、オールドファンならではの悲喜こもごものエピソードを語ってくれた。
ムードコーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」の3代目ボーカルになったのが1982年。ボートレースを始めたのは、同い年の女子のレジェンド日高逸子がデビューした85年ごろですね。
古いファンならご存じかと思うけど、黄色い帽子をかぶって、場内で「お早いの、お早いの」というオジサンを見かけたこと、あります? ボートにのめり込んだのはその「お早いの」のオジサンと関係があります。
当時、ロマンチカは給料制で月に30万円くらいでした。それから所得税を天引きされ、手取り27万円。アルバイトも結構あって10万円、20万円とまとまった収入もあったから、50万円くらいの収入があった。
知り合いの不動産屋さんで、芸能界にも顔が利く人と付き合いがありました。その人に栃木の那須にいい別荘があると言われましてね。値段は1000万円。
今から思えばありえないけど、那須が遷都候補になっているというので大規模開発されて、那須の別荘がブームみたいになっていた。1000万円の物件ならすぐ2000万円くらいになる、いろいろ差っ引いても600万円くらいは儲かるなんて言われ、その気になったわけです。
そのローンの固定金利が7・8%、月々の返済は3万円、ボーナス払い15万円。これくらいなら払えると思って飛びつきました。90年です。
結果的には、バブルがハジけて値段は下がる一方だし、遷都の話なんか消えてしまいましたが、その知り合いの不動産屋さんに連れていかれたのが戸田ボート。そして、そこで出会ったのが「お早いの」のオジサンでした。
同年の日高逸子選手(©boatrace)
戸田ボート場で歌謡ショー。予想したら当たっちゃって……
その頃は今と違ってもちろんスマホで舟券を買うなんてありません。本場の舟券を買うだけだから、全国のレースを買うこともできなかった。本場で舟券を買って最終レースが終わったらその場で払い戻ししてもらい、バスに駆け込んで帰るような時代です。
舟券は3連単なんかなくて2連単が中心。3連単に比べたら、配当が低いし、①の頭で決まったら的中する人が多くて払い戻しの窓口に列ができて時間がかかる。そこで窓口に並ばなくてもいいように「お早いの」オジサンがいた。配当が1010円以内なら100円券につき10円の手数料で払い戻ししてくれる。1010円を超えたら手数料は20円。それでも、並ぶのが嫌で「お早いの」オジサンに換金してもらう人も多かった。
戸田ボートで知り合った「お早いの」オジサンは組合の元締で、その後、僕の後援会もやってくれた。僕を戸田ボート場に推薦もしてくれました。
場内のステージで歌謡ショーをやった時のこと。
同い年の日高に加え、若手の五反田忍や柳沢千春、海野ゆかり、横西奏恵らが出ていたのかな。ステージでは予想もしました。②③か③②と言ったらそれが的中。「当たったぞ」とお客さんに言われて有頂天になり、いい気になって、次のステージでまた予想したら、ハズレ! お客さんにはボロクソに言われました。
施行者の方には「ハズレると怒られるから『②番の選手が強そう』くらいの方がいいですよ」と言われていたんですが、その意味がハズレてからわかりました。
ちなみに、別荘のローンは払い続けて、トータルで2000万円くらい。完済しても売れなくて困っていたら、知り合いの社長が現金でポンと150万円で買ってくれて、助かりました。=つづく
(聞き手=峯田淳)
▽はま・ひろや 1962年、山形県生まれ。82年「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」3代目ボーカルとしてデビュー、94年からソロ活動。今年8月に新曲「ヒトリヨガリ」をリリース。