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コラム一覧へ戻る公開日
2025年02月07日
11:42
更新日
2025年02月07日
11:42
特別インタビュー 元ボートレーサー 熊谷直樹さん④ 僕は師匠を持たなかった。だって、どう考えてもおかしいでしょう

先輩のアドバイスが欲しい時、昔の若手は何をしたか?
今は現役を引退し故郷の北海道で暮らすボートレース解説者の熊谷直樹さん。最終回は、師弟関係のことや近況などを聞いてみた。
僕がデビューした頃は個性のむちゃくちゃ強い先輩がいっぱいいて怖かったなあ。話しかけることもなかなかできなかった。何かアドバイスをもらうなんてことはまずなかったね。だから、何とか自分のことを覚えてもらおうと、宿舎で先輩にコーヒーを入れる時、この人はブラックとか、あの人はミルクと砂糖とかを全部覚えておいたり、レース後のボートをきれいに拭くとかそんなことを一生懸命やって自分のことをアピールしてたよ。すると、そのうち先輩のほうから「おい熊谷、ちょっとペラ持ってこい」って声をかけてくれるようになるんだ。
今は優しい先輩ばっかりだから、聞けば親切にアドバイスしてくれるし、何よりも師匠と弟子の関係があるから、若手は困らないよね。
いえいえ、僕は現役の時、一度も師匠を持たなかった。そもそも師匠と弟子というのがあるのはおかしいとさえ思っていたから。だって我々ボート選手はあくまでも個人商売、個人事業主で、周りは全部ライバルの真剣勝負じゃないですか。師匠や弟子をつくる意味が僕には分からなかった。師匠のほうからいえば単に弟子をつくって雑用をやらせたり、師匠って呼ばれることがうれしいだけじゃないのかな。だから、ホントは師匠と弟子なんて要らない。このことは大きく書いておいてほしいですよ。

昨年暮れのグランプリ。優勝の毒島選手と3着の茅野選手(右)
毒島や茅野が北海道に遊びに来て、一緒にスノボー
僕は2021年暮れに36年間の選手生活に終止符を打ちました。その何年も前から思うようなレースができなくなっていて自分でもそろそろ潮時かなと思っていた。それで選手を辞めたらボートに関わることは一切やらないつもりでした。苦しかったことを思い出させるレース場にはもう行きたくない、絶対に関わるものかと考えていました。だからボートレース多摩川さんが引退のセレモニーをやってくれるっていってくれたんだけど、それも断っちゃって、後は故郷の北海道でのんびり暮らすつもりだった。
ところが、引退してから3カ月くらいだったかな、何の前触れもなく突然、多摩川さんから記念の盾が送られてきたんです。たぶん僕が断ったセレモニーの時に渡してくれるつもりだったんじゃないかな。それを見た時、なんか走馬灯のようにこれまでのことが思い浮かんでね。そうだよな、考えてみれば、僕が今こうやって家族と平穏な生活ができているのも、家や車を買えたのも、みんなボートのおかげじゃないか、ボートがあったから今の僕があるんだとあらためて思ったわけです。
だったら、少しは業界に恩返ししたほうがいいんじゃないかなと考えるようになって、それで今は北海道にいて、声がかかれば解説者としてYouTubeやイベントに出るようになったんですよ。
仕事がない時は好き勝手に遊んでます。今の時期ならスノーボードかな。いつもは1人だけど、東京から毒島(誠)や茅原(悠紀)、菊地(孝平)、辻(栄蔵)とかが来て一緒に滑ることもある。楽しいよ(笑)。
僕がレースの予想をしないのも、それをしちゃうと現役選手と交流できなくなっちゃうから。だからやらない。今後も今みたいにのんびりと頼まれた時だけ淡々と真面目に解説の仕事をこなして、後は一生懸命遊ぶ(笑)、そんな人生を送りたいね。 =おわり
(聞き手=清水一利)
▼くまがい・なおき 1965年3月生まれ、北海道・旭川出身。85年多摩川でデビュー。東京支部に所属し「北海のシロクマ」の愛称で人気を集める。2021年12月引退。SG優勝2回、GⅠ優勝8回。現在解説者。