• TOP
  • コラム

COLUMNコラム

コラム一覧へ戻る

ボートレースライター 三吉功明さん① カリスマ舟券師 ボートとの出会いを語る

30年前、スポニチ編集部でアルバイト

 さまざまなYouTubeや雑誌などに登場している人気のボートレースライター三吉功明さん。自らを「愛券家」と称する根っからの舟券師だ。そんな三吉さんにこれまでの人生のこと、三吉流舟券術、ボートレースの楽しみ方などいろいろと聞いてみた。今回は第1回。カリスマ舟券師の三吉さんがボートレースと出会うまでだ。

 人からよく「三吉さんってネットを見ても年齢とか経歴が全く分からない。隠しているんですか?」っていわれる。いやいや、アイドルじゃあるまいし隠していることなんて何もないですよ。たまたま誰にも聞かれなかったからいわなかった、ただそれだけのこと。

 僕は昭和47年生まれの今年52歳。出身は東京です。高校生の頃から競馬やパチンコをやっていたし、基本的にギャンブルが好きだったんで、何かそれに関係した仕事ができないかなと漠然と考えていましたけど、大学を卒業する時、就活は一切しなくて就職しなかったんです。

 何が就活だってとがっていた。今になって思うとバカみたいに若かったですね。それで大学を卒業した年の9月ぐらいだったかな、たまたまスポニチのアルバイト募集を見つけた。坊やっていう編集手伝いのアルバイト。とりあえずちょっとここに行ってみようかって感じで編集局のアルバイトを始めたんです。

当時のボートレース記事は貧弱。全部新しく作った。スカウトされ、「マクール」副編集長に

 僕はもともと競馬が好きでその当時からデータに興味があったからレース部にちょくちょく顔を出しながら、その頃はパソコンとかあんまりない時代だったけど、自分でパソコンを買って生意気にもレース部の部長やデスクにこういうデータはどうですかねとかやっているうちに「君は面白いね」とかいわれてレース部付のバイトになったんですよ。でも、いろいろやっているうちに仕事にする上で競馬はちょっと難しいなと思い始めたんですよ。

 データ活用をやっている人が競馬界にはその頃すでにたくさんいましたから。ところがボートレースは誰もいない。

 ライバルがいないならやってみようかなと思ってデータを集め出したらこれが面白い。そこからですね、僕がボートを本格的にやり出したのは。23 、24歳ぐらいだったかな。

 今から30年も前だから当時のスポーツ新聞のボートのページはとっても貧弱でお粗末。出走表だって満足できるような代物じゃなかったんです。それで僕が全部新しく作っていろいろとやっているうちにアルバイトから個人でスポニチと契約することになり、コラムを書いたりボート雑誌の「マクール」で連載を担当するようになったんですよ。

 それで「マクール」に副編集長として引き抜かれる37歳の時までいましたからスポニチに15年、結構長かったですね。で、次の転機は50歳。「マクール」を辞めていわゆるフリーのボートライターになってYouTubeやいろいろなメディアにちょくちょく顔を出すようになったんですよ。これが僕のこれまで歩んできた道のりだけど、自分でもちゃんとしたまっとうな人生を送っていないなあと思いますね。

 =つづく

 (聞き手=清水一利)

▼みよし・こうめい 1972年、東京生まれ。スポーツニッポン新聞社勤務、マクール副編集長を経て現在はフリーのボートライター。長年の研究から編み出した独自のボートレース必勝法は多くのファンに支持されている。